フードバンク八王子様へのインタビュー(前半)

帰るときにはにっこり笑って帰ってほしい。
そんな場所になりたい。

テトテを運営するノースブックセンターは東京都の八王子市に事務所を構えている。その八王子市内で困窮者への食料支援や、子ども食堂など子どもの居場所づくりに取り組んでいる団体がある。「テトテ」事業変更前から当店の寄付買取にご協力いただいているフードバンク八王子さんだ。

上記の食料支援のフードバンク事業や子ども食堂への支援活動の他にも、実に様々なプロジェクトに精力的に取り組まれている代表理事の國本康浩さんと、同理事の川久保美紀子さんにお話を伺った。

それまでボランティアもやったことがなかったんです。

―――まず、法人設立のきっかけを教えていただけますか?

國本:設立は2016年なので、もう今年で6 年目です。設立理由はうまく説明できないんですけど、新聞やニュースを見ながら「なんとかならないかな」という思いがあって。

―――設立前はどのようなお仕事をされていたのですか?

國本:私は元々IT業界にいたのですが、徐々に八王子での地域ネットワークに関わり始めました。

八王子には市民活動支援センターという市民活動を支援する機関があるのですが、実はそこで初めて川久保に会ったんです。それで、川久保に「一緒にやろうか」と相談しながらフードバンク八王子を始めました。当時、私は八王子のことをロクに知らなかったので、それ以降、川久保が羅針盤のような役割になっていろんなところにつながりを作ってくれたり、いろいろ教えてくれたりしています。悔しいですけれど、これは今もなお、そうです(苦笑)。

―――その頃にフードバンクの活動をしていた他団体はあったのですか?

國本:私が始めた頃にはフードバンクはまだ全然浸透していなかったです。だから「八王子でフードバンクを始めるのは自分しかいない」と一人で勝手に思って始めたら、たまたま同時期に八王子に3つのフードバンクが生まれました。不思議なタイミングですが、今思えば社会的にそういう時期(シンクロ現象?)だったのかなと。

―――フードバンクを始める前に、そういった社会的な活動のご経験はあったのですか?

國本:実は、こういう社会的な活動にはそれまでまったく縁がなくて、ボランティアですらやったことがなかったんです。また、例えば子どもの頃に食べるのに困った経験があるとか、自分の個人的な歴史の中での関わりとか、そういった動機に直結するようなことも全然なくて本当に普通の生活だったんですけど…。

だから、この種の活動を始めるにあたって、何をどうしていいか全く分からなかった。そういう形で始めちゃったんですよ。始めちゃったら、なかなかやめられなくなったというのが本当のところです。つまり「どうして始めたのか?」と聞かれたら困惑せざるを得ないのですが「なぜ今も続けているのか?」と聞かれたら、私たちには、言うべきことが、たくさんあります。

―――川久保さんからも、それまではどういった活動をされていて、そして、どんなきっかけでこの活動に参画することになったのか、経緯を教えていただけますか?

川久保:2016 年に國本が相談に来た時に、ちょうど支援センターを辞めるタイミングだったんですよ。「もう辞めたい」と思っていて。その頃、市民活動をしていて様々な課題を感じていました。中間支援組織って自分で活動するわけじゃないから、「こうした方がいい、ああした方がいい」とアドバイスをしても、実際に人に実行してもらうところまで誘導するのはすごく難しくて。そのジレンマにも陥っていたので、「もう自分で何か活動したい。でも、次は何をしよう?」と思っていたところに「フードバンクを一緒に」というお話が来たので、「じゃあ、お手伝いしてもいいよ」って軽い気持ちで言ったら、どっぷり浸かってしまって(笑)。

國本も言ったように他の団体もちょうど同じ時期に立ち上がって、フードバンクっていう言葉が少し注目を集めてきていたところでしたし、私も、例えば路上生活者であるとか、いろいろな支援が「八王子にはない、その部分を何とかしたい」という思いもあったので、参加させていただいたんです。

―――今、フードバンク八王子さんではいろいろな事業に取り組まれていますが、それぞれどのようなご活動なのか概略を伺ってもよろしいでしょうか?まずは、フードバンク事業から。

國本:これがやはり我々の母体になる活動で、毎月第 2 、第4土曜日に困っている人たちがうちに来るわけです。それで、そこで食料配布する。2~3年前の台風のときに1回だけ休んだことがありますが、その他は休んだことがないです。もちろん、お客さんが来るからっていうのもあるんですけど、やっぱりこれは私にとってものすごく重要な活動です。本当にいろんな人が来て、目が覚めるような経験や、いろんな目に遭うんですけど。

今まで自分の視界からこぼれ落ちていたというか、全然目に入ってなかったような人たちがいたっていうことがわかってきて。本当に話を聞いて辛い思いをしたりとか。例えば、先日もそうだったんですけど、母子家庭の母さんに連れられて小さな子どもが来たりするんです。小さな子が初めての場所に戸惑って、お母さんにべったり抱きついている、そういう親子の姿は、それを見るだけで胸が痛くなってきます。

そうかと思うと、うちにとにかく喋りに来る人もいて。うちに来る人たちはある意味、最後の手段としてうちに来るわけです。様々なケースがあるのですが、そういった人たちの共通項として「社会的に孤立している」ということがあります。逆にいうと、頼る先があったらうちには来ないですからね。我々も大した対応なんかできないですけど、我々はある程度状況が分かっていますから、友達や知り合いには話せない内容も話せたりするんですよね。「こんなことに困っているんだ」とか、「こんな人がいて憎くてしょうがない」とか、そういうことを話しに来る人が全体の7割ぐらい。残りの3割は雑談して一緒にゲラゲラ笑ったりもします。

そういう「社会的に孤立した人たち」との細いつながりっていうのは、すぐに解けたりもするのですが、そういう一つ一つのつながりを、ごく小さなネットワークをいかに作れるか?そういったところから始めて、未だにそう思いながらやっています。

―――障がい者への就労移行支援事業についても教えていただけますか?

國本:これもフードバンクの仕事に関わってはじめて見えてきたことなのですが、我々のところに来るお客さんにはかなりの割合で「何らかの病気や障害があるのでは?」と素人の私の目から見ても感じるようになりました。そういう人たちに対して、「食料の支援だけでなく、更に何らかの就労の支援をできたら、我々の活動を少しだけ進めることができるのではないか?」と思って始めたんです。こちらの事業の対象となるのは、うつ病や発達障害など広い意味で精神障害の人たちです。

我々の障がい者就労支援サービスを利用しに来る人たちにはひきこもりや不登校、そういう人たちが多くいます。しっかりした関係を作りながら無事に卒業してもらう、つまり、就職してもらうということを考えながら活動しています。

―――次の八王子食堂ネットワークというのはどのような活動ですか?

國本:八王子食堂ネットワークというのは、これも 5~6 年前に八王子市と共同で始めた、要するに八王子の子ども食堂の中間支援となる事業です。個々の子ども食堂の日々の活動をどう支えるかを考え、また食堂をしたい人たちにとっての相談窓口となることをずっとやっていました。

でも、公的な立場にいるということが逆にいろんな足かせになるということがあって、それでわがままを言わせてもらって、今は事務局としてはではなく、それより自由な形で食堂を支援しています。

私達が大切にしている活動の1つに子ども食堂への支援があるんです。我々はフードバンクですから子ども食堂をやっているわけじゃないし、これからもやるつもりはないですけど、子ども食堂とか、無料塾とか、そういった空間は、子どもたちにとって大切なものだと思っていて。だから、それをしっかり支える仕組みをどう地域に創っていくのかが重要なテーマだと思っています。

―――次に、パントリーネットワークの活動についてはいかがでしょうか?

國本:うちは最初に申し上げたように食料配布をやっているわけですが、うちだけだと少ないんですよね。八王子は広いので、ここに来る前に電車賃・バス賃が往復で1,000円くらいかかるっていう人もいて。だから、こういうパントリーの拠点を八王子にもっと増やしたいとずっと思っていて。これがやっと形になり始めて、今はうちを合わせて全部で6箇所パントリーがあります。いわば、最後のセーフティネットとして「あそこに行けば食事が何とかなるし、話し相手にもなってくれるし、場合によってはいろんな支援の方法をしっかり使うためのつなぎ役になってくれる」という場所でありたいと思って活動しています。

我々はただの素人ですから力はないんですけど、我々の背後には市役所であったり、いろんな関係機関があったりして、つなぐことができるんです。それで、実際になんらかの対応をしたり、支援金とかそういったものとつなげたりする活動をしています。

―――あとは不登校児のための支援(プラス・パス)もされているとか?

國本:八王子に島田療育センターという有名な病院があるんですが、その所長さんに小沢浩先生という有名な先生がいます。元々友達だったんですが、今、コロナの関係で不登校児が増えているんですよね。小沢先生はそういう子どもたちを始終見ているものだから、ある日、我慢ができなくなったんだと思うんですけど、いきなりやってきて「國本さん、やるよ!」って。それで、「わかりました、やりましょう」って言って始めたのがこれです。小沢先生が代表の活動グループで、私たちは裏方の役割です。

ただ、この活動も需要があるはずですよね。不登校になったときに本人はもちろんですけど、ご家族や、場合によっては学校の先生もどうしたらいいかわからない。どうしたらいいかわからないというのは、具体的にどういうところと繋げるか、どういうところに相談に行ったらいいのかがわからない。なので、そういった情報をまず集約して、いろんな施設との横の繋がりを作る、地域のいろんな不登校児に対応できるような地域社会資源をネットワーク化した上での相談窓口になることを始めています。

これも私や川久保がずっと思っている、未来をこれから作っていく子どもたちのバックグラウンドをどう上手く創っていけるのかというテーマに連続している活動の一部です。

―――ベジバンクという事業もありますが、これはどういった取り組みなのでしょうか?

國本:これは八王子の野菜をどうやって地域循環させるかという取り組みです。今現在、一応実験的にはできてはいるんですけど、まだ本格的始動はしていません。システムを作ることはある程度簡単なのですが、運用が大変なんです。例えば、その野菜を誰が持ってくるのか、その運用がすごく大変で。一応、ツールはできたんですけど運用をいろんな方々の力を借りてやっていかなければならないところです。

※後編に続きます。

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(更新日:2022年08月04日)